コラム

時計台占拠体験記

文責:ああああ

そこに時計台があったから登ったのだ。それだけではあるが、それだけでは伝わりきらないだろう。 入学して、入学式もないけど行ってみた時計台。そこに登れる事は何と素晴らしい事かと思った。なんで二年も登っていないんだと思った。二年も登らなかったら、登らないことが当たり前になってしまうだろうと思った。なんで現時点で年に一回自由に登れる時計台に、登らないという選択肢が存在するのかと、なぜ祭りにリアルを見るのか。そこに何にも代えられない自由があるだろうと、そう思った。そう思ったから登った。間違ってなどいなかった。そこに何にも代えがたい自由と、興奮と、気持ちよさがあった。京大に入ってからいろいろな事をしたが、これよりも気持ちいいことはなかった。あれから1年経ったがあの興奮は忘れられないし、これから忘れることもできないだろう。可能ならば何度でもやりたいし、何度でもあの景色を見たい。当局との力関係とか、処分のおそれとか、はっきり言ってどうでもいい。100人で登りたい。2段目まで登りたい。そこまでいけばもう、そんなこと気にしなくて済むんじゃないかと思う。人間の力というものは思ったよりも大きなものだ。人がたくさん集まって、たくさんで行動をすれば、大概のことは何とかなるんじゃないかと思った。またあの景色を見たいし、もっと良い景色を見たい。みんなに見てほしい。見たら、弾圧してくる当局や、警察はちゃんちゃらおかしいんじゃないかと思うに違いない。こんな、ただ自由を求めているだけの人間を、どんな気持ちで取り締まるのか。お前らの言うところの正しさってなんだよ。自由の甘美な味に震えろよ。権力も登れよ。あのきらめきを見たか。あのまぶしさを感じたか。あの空気を吸ったか。またやりたいし、いつの日かやれるだろうって信じてる。確信がある。

ホームに戻る

Designed by BootstrapMade